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「サッカーは障がいも国境も越えられる!」 日本トルコ友好130周年記念事業『日土アンプティ国際サッカーフェスティバル』のクラウドファンディングを実施

トルコが世界一の親日国と呼ばれる理由

今回、日本トルコ友好130周年記念事業という事ですが、なぜ友好関係になったのかを知らない人が多いかもしれません。

それは今から130年前・・・
1890年に起きたトルコの軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故をご存知でしょうか。

9月16日嵐の夜、日本に立ち寄っていたオスマン帝国(現トルコ)使節団はこれからトルコに帰る途中、和歌山県串本町沖でトルコの軍艦「エルトゥールル号」が挫傷、約600名以上が亡くなるという大変な事故が起こりました。

その時、荒れ狂う嵐の海での救助活動はもちろん、当時食糧難だった村の食料も無償で差し出す姿や、治療費はいらないという医者の姿は、当時の串本町民による懸命の救助活動によって助かり故郷に帰った69名のトルコ人からトルコ中に伝えられる事になりました。

この救出劇をトルコでは学校で習う為、トルコでは有名ですが日本ではまだあまり知られていません。

実はこの事件、95年後に続きがあります。

1985年イラン・イラク戦争時、フセイン大統領が「48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機を全て撃ち落とす」と声明を発表。

実はその時、イランには商社マン等200名以上の日本人が取り残されていました。

当然、日本に救援を求めるのですが、自衛隊法があり救援の航空機を飛ばす事ができず、民間機も余りに危険な為誰も助け舟を出せず、その場にいた全員が諦めかけていました。

諦めかけていたその時、そこへ2機のトルコ航空機が日本人を乗せる為にテヘラン空港に降り立ち、215名の日本人を乗せ脱出することに成功しました。

当時の乗客が何故トルコが助けてくれたかを理解できず、日本の新聞社も理由が分からないから記事の書きようがないと困っていた時、日本のマスコミに当時の駐日トルコ大使はこう答えました。

「エルトゥールル号の借りを返しただけです」

そして当時イランには、日本人より遥かに多いトルコ人が500名取り残されていましたが、彼らは陸路で脱出しました。

この一件をトルコ政府はそのまま発表するも、誰一人として文句を言わなかったそうです。

この物語は日本トルコ合作映画として2015年、映画「海南1890」として上映されました。

映画に関する詳細は下記のページをご覧ください。

*海難1890のホームページへ

また映画だけででなく、この物語は絵本化もされています。

絵本に関する詳細は下記のページでご覧ください。

*絵本に対する詳細はこちら

この物語について詳しく知りたい人は串本町のホームページをご覧ください